高知城
アクセスや見学時間は1番下をご覧ください。
追手門から入場。小高い山の上には現存天守が聳えます。
[歴史]
高知城の前身として大高坂山城があったとされている。関ヶ原の戦いで長宗我部盛親は西軍につき改易された。その代わりとして山内一豊が掛川から土佐国24万2千石に入った。当時この辺りは湿原が広がっており長宗我部氏が築城を断念したほどの水害の地であった。
1603年に本丸と二の丸が完成し山内一豊が入城した。1727年には大火に見舞われ城のほとんどが焼失した。そのため現在の建造物の大半はこの後に建てられたものである。しかし追手門は
築城当時から残っているもの。
[遺構]
枡形配置。江戸時代からの現存のもの。
本丸御殿内。
二ノ丸御殿ができるまで一豊と見性院が一緒に暮らしていたという。
天守内階段
天守最上階
[アクセス]JR土讃線「高知」から徒歩20分
とさでん伊野線「県庁前」徒歩3分
[見学時間] 9:00〜17:00(最終入場16:30)
[所要時間]さくっと 45分
じっくり3時間
[休館日] 12/26〜1/1
[築城年]南北朝時代
浦戸城跡
桂浜の北側の小高い浦戸山の上に建てられた城です。土佐湾に面しており水運面において優れた立地となっています。
築城時代は天守はなかったものの、長宗我部氏が本山氏を倒しこの地を治めるようになった際に水陸両方からの防衛のため改築され天守も建てられました。
関ヶ原の戦いで長宗我部氏の当主・盛親は西軍についたが敗北したため改易となった。その後掛川から山内一豊が入国したがこの城を手狭と感じたため、高知城の築城を始め完成と同時に浦戸城は廃城となった。
・浦戸城ワンポイント
[浦戸一揆] 1600
関ヶ原の戦いによって改易となった長宗我部氏の家臣が城の明け渡しを拒否し抵抗した。
(わかりやすい流れ)
関ヶ原の戦い(西軍敗北)
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↓ ↓
徳川家(東軍)家臣が浦戸城を接収しようとする
↓ ↓
開城を拒否し抵抗を開始
↓ ↓
長宗我部旧臣内で対立が発生
↓ ↓
12/5 接収完了
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1/8 山内一豊が入城
[名称] 浦戸城
[築城者] 本山清茂
[主な城主] 長宗我部元親
[遺構]天守台跡、堀切、移築石垣
[アクセス]とさでん交通バス「龍馬記念館前」
高知県立坂本龍馬記念館
資料を展示している新館と、体験型展示で龍馬について知ることができる本館の二部構成となっています。
新館1F シアターホール
新館2F 常設展示室・ジョン万次郎展示室
・坂本龍馬(1836〜1867)とは
通称:直陰、直柔
1836年、土佐藩(現・高知県)郷士の家に生まれる。脱藩後は亀山社中(後の海援隊)を結成し薩長同盟成立にも尽力した(最近の研究ではその成果に疑問がかけられている)。そして1867年12月、近江屋で中岡慎太郎と共に暗殺された。
亡骸は盟友・中岡慎太郎と共に霊山護国神社に祀られており、その墓碑は桂小五郎が揮毫したとのこと。
こちらは出口です。
館内は基本撮影禁止ですが、写真OKの所も一部あります。
テラスに出ると太平洋を一望できます。
波の音を聞きながらゆったりしてみてはいかがでしょうか。
[所在地]高知市浦戸城山830番地
[入場料] 企画展開催時700円 その他500円
[開館時間]9:00〜17:00(16:00)
[所要時間]90分程度。しっかり見れば180分。
[駐車場]普通車42台 バス4台(無料)